2007-04-10

21世紀環境立国戦略に対する意見送付(送付済み)

時間がないので夜中に書いて送りました。また時間ができたら、次を書いて送ります。・・・・・まだまだ言うぞー!!
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私の考える21世紀環境立国戦略の要旨
 私は、社会人の大学院生をやっていますが、3人の児童と乳児を抱える、普通の家庭のトイレを直す水道屋さんであり、かつ地域の消防団員であり、かつ地域の商工会青年部の部員です。
私なりに、これまで、色いろと温暖化、低炭素社会について考えてき、かつ行動をしてきました。それらの、経験から自分なりに考えてきた、21世紀環境立国戦略に関する要旨(要点)について記述します。まだ途中ですが、子育てや、仕事などでやれる時間があまり取れませんので、書けるときに書き、送れるときに送ります。できる限り、何度も考えをまとめながら、まとめた順に送っていきますので、わかりづらい部分もあると思いますが宜しくお願いします。内容を、以下に列記します。

私の考える21世紀環境立国戦略の要旨
骨格
① 現在の化石燃料社会から低炭素社会への移行の開始の宣言
② 今後の50年から70年は低炭素社会への移行期と位置付けを行なう
③ 目指すべき低炭素社会のイメージを強固かつ明瞭とするために70年程度の長期目標設定においては、ほとんど限りなく化石燃料に依存しない80%以上の削減を大目標として設定する。
④ これにより、今後、半世紀以上の時間をかけ我々人類が到達すべき、最も重要な目標が、国民と世界の人々に明示される。
⑤ 上記の目標には、世代を超えた取り組みであること、80%以上の削減は、理想とする低炭素社会の条件であることが含まれている。
⑥ 80%の数字の意味は、50%とという中間地点のようなあいまいな表現を抹消し、同時に、2050年までに実現可能性のある70%(2050年脱温暖化社会プロジェクト)を意味するものではなく、あくまで、望むべき低炭素社会の理想の姿を追求し易くするための理想像の意味を持たせる意味合いが大切。(理想像を数値で表現)
⑦ 理想像を掲げる目的は、危機的な温暖化に対して、可能性のある未来の姿を確保し、あきらめずに努力し、進む方向性を指し示すことである。(国民の不安の払拭)
⑧ 理想的な目標を持ったとき、初めて、革新的な技術革新が生まれる。(次の世代の努力も含め、未知と無限の可能性を引き出す努力の必要性)
⑨ 進むべき道を示されることで、困難を乗り越える勇気が生まれる。
⑩ 具体的な、中、長期の数値目標の設定は、上述した理想像の下位に位置づけられる必要がある。
⑪ 同時に、地球温暖化や予期しない環境変化、環境問題、気候変動など緊急な対応を迫られる事象に対しては、国家として、柔軟かつ迅速な対応が可能なよう、制度調整を開始する。(低炭素社会に向けた制度改革、制度の環境適応能力の向上をはかる宣言)
⑫ 地球温暖化という危機的な問題に対して、低炭素社会という一つの方向性をもって前向きに乗り越えていく前進戦略と、気候変動のように環境のみならず、社会、経済をも巻き込んで急激に流れ脱す突発的な問題に迅速かつ柔軟に対応する制度的適応戦略によって、現在の危機的な状況をプラスに転換し、持続可能な世界を実現していくことが、21世紀環境立国戦略の骨格となる。
中長期の目標

中長期の目標以下は骨格の下位に位置づけ、同時に、国際的に約束できる数字が、さらにその中に位置づけられてくるのかと思います。他にも、特許と経済の問題、中古自動車等の流出防止の問題(低効率機器の流出防止の問題)など、議論を高める必要のある問題が山済みとなると思われます。しかし、重要なのは、一歩を踏み出し前進することです。化石燃料病の人に気を使っていつまでもそのままにしていたら取り返しのつかないところに来てしまいます。私達や、私達の家族にも生き生きと生き続けていく権利はあります。私は、もはや、つまらない人の為に犠牲になるつもりはありません。私達家族自体もやはり化石燃料病にかかっています。しかし、私達は、今化石燃料病にかかっていることを自覚しました。日本と言う国の国民が、自分達が化石燃料病にかかっているのを自覚し、それから脱却する一歩が今必要です。一歩踏み出した先から見えた景色は、以前の景色とは違ったものとなります。それを続けることで知らす知らすに意外な高みに到達していることも良くあります。今、不可能と思われることが、必ずできる時が来ると私は信じています。やればできないことはない。ただ、やらないからできないのだ。途中で、投げ出さず、不可能に見えることでも、一人ひとりの人の力を信じて、あきらめずに取り組み続けることが大切なのではないでしょうか?私は、世界は、必ず、その姿を見ていると思います。