2006-11-06

無限と錯覚するシステムから有限と再生を実感するしテムへの再構築

スターリングエンジンの現状について記述した後、少しづつ自分なりに漠然とした答えが返ってきた。資源やエネルギーに関して、今、私達が生活をする日本では、これまで、安定供給を何とか確保することを必死で確保し続けてきた。そのため、安定供給こそが社会の発展とい概念が、当たり前の社会が形成されてきた。せいぜい戦後数十年のことである。今の子供たち、私達は、ほとんど、電気や商品はあって当たり前と感じ、反対に、安定供給が、自分たちの権利であるとさえ錯覚し安定供給がないと気が狂ったように訴えたり、それをTVで騒ぎ立てるなど大変な世の中となっている。本当は、もともとは、ないのが当たり前で、だれかが作ったから今あるというのに。
 安定供給というのは、ほんとうは共同幻想なので、決してそれに縛られ続ける必要はない。今、世の中が、本気で温暖化を制御するためには、現状では、安定供給の必要性について、もう一度議論する必要がある。私達は、この安定供給を実現するため、これまで一所懸命になってがんばってきたのだから方向転換には、非常に思い切りが必要であろう。しかし、この安定供給に対する幻想を打ち破ることができさえすれば、CO2排出量を2050年に50%削減することに可能性が見えてくると私は確信し始めた。
 再生可能エネルギーは、それ自体、使いきり、翌日満タン、翌年満タンというサイクルを繰り返す使いきりシステムの特性を持つ。当然、足りない分は、あきらめたり、節約しながら使ったり、代替のエネルギーを一部取り入れたりする。しかし、基本的に、再生可能エネルギーに依存した社会が形成されるに従って、少なくとも、人々の中には、与えられた分をできる限り大切に使うというコンセプトが定着する。そのことが、温暖化を乗り切る上で、最も重要なコンセプトなのである。安定供給社会から日々使いきりの再生可能社会が生まれる必要がある。
 すなわち、いつでも何でも24時間手に入るコンビニエンスストアー型社会から、毎日、品物が売り切れ、今日買えなければ明日また買いに行くけれど、それでも人は買いに行くような新鮮繁盛商店的、人間に活気が伴う古くて新しい社会への転換がここには待っているのである。

家庭用のたまった分しか使わない蓄電システムが50/2050の重要なキーワードになってきそうです。